草原を流れる風がいい・阿蘇烏帽子岳[ 1337.2m]・杵島岳[ 1270m]
車道出会い〜展望所(25分)
車道に着くと、右手へ車道防護柵外側に付けられた踏み跡を南へ辿っていく。
この辺りを古坊中と呼ばれ、スキー場駐車場北側に説明板が立てられている。
防護柵がなくなるころ、車道を横切ると車道に沿って遊歩道が延び、遊歩道を行ってもいい。
車道を少し行くと、左手に擬木の柵が付けられ、
柵の入口
から左手へ車が通る未舗装の小石交じりの道を取る。
古坊中と杵島岳(海抜1321m)
この一帯は「古坊中」と呼ばれ、8世紀から12世紀にかけて、火山信仰と山岳仏教が結びついて栄えた霊場の跡です。当時は西国一の霊場で、37坊と50余の庵が軒を連ね、400人近い僧侶が修行を積んでいたといわれています。しかし、戦国時代の末(1587年)阿蘇に侵攻した島津軍の兵火にあい焼失してしまいました。
その後、肥後に入国した加藤清正が、山麓(現在の阿蘇駅周辺)に西巌殿寺や坊舎を再興し、明治時代まで繁栄をつづけました。このようなことから、ここを古坊中、麓を坊中と呼びます。
この歩道を登って行くと、杵島岳一帯を深勝することができます。杵島岳は、往生岳とならんでそびえており、両方とも草地のやさしい山体をしていますが、山腹に火口跡を持つ火山です。
5月中旬ともなると、九州の火山地帯特産のミヤマキリシマ(ツツジの一種)やイワカガミのピンクの花、ヒカゲツツジの黄色の花が一面に色どりを添えます。
右手に目を移すと、スキー場へ通じる石段が目に入る。
さらに広い道をゆるやかに登って行くと、
右手に道標
が立てられ行く手を「杵島岳」右折して「中岳火口」そして後方を「草千里ヶ浜」と案内され、右手後方へ石段が下っている。
道はこの辺りから舗装され、直進していく。
少し行くと舗装道は切れ左手へ6段ほど石段を登って行く。
舗装道を5〜6m行くとまた石段になり14〜5段、左手に烏帽子岳を見て一息つき、さらに5〜6m置いて16段ほど登り右手へカーブしていく。
すぐ石段になり、18段ほど登り、3〜4m進んで15段ほど登って行く。
ここは石段が多い。
しかし幸い段差は少ない。
さらに左手へカーブし33段ほど登ると正面に「遊歩道」と書かれた道標が目に付く。
一息ついて、右手へカーブしまた石段を登って行く。
石段は16段ほど数え、さらに左手へカーブし14段ほど登って舗装道を行く。
そしてゆるやかに右手へカーブして行く。
左手には、そよ風に乗って下ってきた長い尾根筋の奥に形のいい
烏帽子岳
が全容を見せてくれる。
烏帽子岳を背に右手へカーブし、10数メートル行くと左手へカーブする。
その左手角には「阿蘇町」と刻まれた石柱を見る。
7〜80mも登り右手へカーブしていく。
この辺りはアセビが多い。
少し行くと左手に、何の施設なのか、立ち入り禁止とされている。
ここから右手へカーブし、10mほど進んで左手へカーブして行く。
すぐ石段を22段ほど登り、右手へ鋭角にカーブ6〜7mも進んでまた石段を登って行く。
石段は24段
ほど数える。
石段は容赦なく続く。石段を数えてどれほど意味があろうか、しかし数えだせば止まらない。
さらに20m余り行くと右手へカーブ、27段ほど登り左手へ回り込み石段を登って行く。
石段は26段ほど数える。
10mほど進み、右手へまた石段を登って行く。
数えると26段、2mほど進んで16段を登って行く。
右手眼下には、スキー場の管理棟の白い屋根が目を引き、線を引くように伸びる道は足元まで近づいてくる。
さらに20mも登ると右手に道標を見る。
道標には、後方を「中岳火口 草千里ケ浜」、右手へ下って「人工スキー場」と案内されている。
道はここから左手へカーブ登って行く。
さらに1分余り登って行くと
展望所
に着く。