神宿る山・高千穂峰 [ 1574m ]
分岐〜馬の背(40分)
狭い石段は次第に段差をゆるめ、石段は石畳のような敷石に変わり、ゆるやかな傾斜を登って行く。
少し登ると、敷石は消え土道に変わる。
道はゆるやかな傾斜で伸び、石段より歩きやすい。
しかし、火山性の小石が多く目は足元に向いてしまう。
小石の多い道は、所々左手に脇道が付けられ、狭いが
脇道が歩きやすい
。
が、すぐ小石の本道に接する。
周囲に目をやると、潅木の中にはなぜか松の木が多い。
10月初旬、山中とは言え紅葉はまだ早い。
踏み跡は、こぶし大の小石の中に蛇行しながら薄く伸びる。
その薄い踏み跡を辿るように、北東の方へ一歩一歩ゆるやかな傾斜を登って行く。
途中、倒れ掛かった木をくぐり抜けていく。
小石が多く足元は悪くても、体に伝わってくる自然の感触は悪くない。
その感触に引き込まれるように、道沿いの段差に腰を降ろしたような登山者の形跡もある。
さらに1〜2分も行くと
正面に御鉢の斜面
が見えてくる。
その斜面左手には、山頂へ導く踏み跡を見ることができる。
少し行くと、右手に座りたくなるような
テーブル状の岩
が目に入る。
その岩には、程よく踏み石もあり2人仲良く座ることができる。
しかし右手は少し傾斜し、体を寄せ合いたくなる。
ガレ場のような道は少しづつ傾斜を増し、御鉢の急斜面が近づいてくる。
少し登ったところで、左手へ振り向くと、中岳が韓国・獅子戸・新燃の霧島3峰を隠し青い空に映える。
真後ろへ振り返ると、高千穂河原が樹海に小さく見える。
傾斜は、さらに増し左手踏み跡は小粒の石に滑りやすく、足は自ずと右手溶岩の方へ向いてしまう。
目を上げると、御鉢の稜線はまだ遠くに見える。
傾斜はなかなか厳しい。さらに登りづらい。
溶岩の急坂を一歩一歩足場を捜すように登って行く。
休みついでに振り返ると、
高千穂河原
はさらに小さく見える。
その彼方には、樹海に浮かぶ
烏帽子岳
が霞んで見える。
左手踏み跡の方へ足を向けると、足元には赤・白・黒の小石がびっしりと斜面を埋め、ズルッ、ズルッと踏み出すたびに後退し、距離は伸びない。それ以上に足にこたえる。
幕末登場した坂元竜馬は、妻おりょうさんの手を取り登ったといわれるが、今履く登山靴はなくその苦労は想像に余りある。
足はまた右手溶岩の方へ向いてしまう。
溶岩には、高山性の植物が斜面を飾るように緑色の模様を放っている。
厳しい斜面に、体から噴出すように汗が流れ出る。
一歩一歩が重く、稜線は遠くなかなか近づいてこない。
しかし、足を休めるついでに後ろを振り返ると、汗を流した分高度は上がり高千穂河原はさらに小さく沈んで見える。
その高度差に、小さな快感も憶える。
左手には、中岳斜面に隠れていた新燃岳のススキ原が見え出し、その背後に
韓国岳
が山頂部を薄く見せている。
さらに、斜面右手溶岩の道を登って行く。
斜面の踏み跡ははっきりせず、登山者の踏み跡は日々移動する小粒の石に消され、一歩一歩は足に任せざるを得ない。
小粒の石は、写真で見る以上に登りづらく傾斜も大きい。
斜面を登りはじめ、20分も苦闘すると御鉢の稜線が近いことを意識する。
しかし傾斜は容赦してくれない。
1400年前か、それとも1000年前の噴火によってできたものか、太古の昔に形づくられた溶岩は、長年の風化に耐えながらも今も荒涼とした光景を見せている。
足はその縁へ向いて、滑りやすい砂礫を選んでしまう。
滑りやすい砂礫の道は、一歩踏み出すたびに後退し足は余計こたえる。
足が向くまま、右手へ向きを変え登って行くと正面に案内板が見えてくる。
案内板には「この先、危険につき通行できません」と書かれ、御鉢の南回りコースは諦めざるをえない。
ここで、一時立ち止まり振り返ると、
高千穂河原
は樹海に呑み込まれるように小さく霞んで見える。
右手を見下ろすと、身震いするような角度で切れ落ち、火口底が一望できる。
火口は直径500m、深さは100mに及ぶという。
右手火口縁に目を向けると、一条の踏み跡が登山者を誘うように弧を描いて伸び、惜しくも一度は諦めた気持ちが再び高ぶってしまう。
さらに左手へ薄い踏み跡を辿っていく。
北側に目を転じると、中岳・新燃岳の背後に韓国岳が山頂をさらに持ち上げている。
360度に広がる展望に、身を寄せるように見入りながら気持ちを切替え、溶岩の道を登って行く。
正面東側には、御鉢越しに高千穂峰の山頂部が見えてくる。
右手火口底に目を降ろすと、意外にも人が書いた文字か見えてくる。
文字は、二つの丸の下に「友」と書かれている。
誰が書いたのかより、どうしてそこに文字を書いたのかその文字を見て驚きを隠せない。
さらに、興奮を抑えながらガレ場を登って行く。