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大分県の山

国木田独歩が絶賛した・元越山 [581.5m]

林道〜元越山(40分)

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林道に登り着くと、左手に道標が立てられ「元越山へ」と書かれている。
林道で一息つき、右手東の方へ直進していく。
少し行くと、右手 路面が崩落し 縁を避け左手をいく。
右手南側には展望が開け、石槌山辺りの稜線がうかがえる。
道標を見て7、80メートル行くと正面に道標が立てられ、山頂への道を教えてくれる。
道標には、山頂まで1・25kmと案内されている。
道標に従い、左手へ斜面に付けられた、工事現場の急仕立てのような道を登っていく。
すぐ林の中へ入り込み、小石の多い道を登っていく。
右手にはヒノキが列を成して幹を立てている。
傾斜は容易でない。一歩一歩が足にこたえる。
辺りにはまたヒノキが広がってくる。
道標を見て4、5分も経つころ、道は左手へカーブ、数メートル先に例の道標が立てられている。
すぐ右手へカーブし、東の方へ尾根筋をゆるやかに登っていく。
6、70メートルも行くと 左手に道標 が立てられ、「頂上まで1・0km」と案内されている。
道筋にはなおシダが多く、狭い道を覆いさらに狭くしている。
しかし、傾斜は少なく右手樹間に展望を見ながら、のんびりとした歩行が楽しめる。

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道標を見て1、2分も平坦な道を行くと、また左手に道標を見る。
道標には例のとおり「元越登山道」と書かれている。
さらに平坦な道を1、2分行くと、右手樹間に遠望が開け眼下に集落を見る。
少し行くと、右手に立て札が立てられ「元越山山頂まで あと900m」と案内されている。
さらにS字状にカーブし、ゆるやかに登っていく。
1分足らず登って行くと、左手に「火の用心」と書かれた立て札を見て、その 奥の方に石仏を見る
ここが「中の地蔵」と案内されている。
中の地蔵さんは、お釈迦さんが悟りを開いたといわれる姿で、光背は付けていらっしゃらない。
さて一息つき、ほぼ平坦な道を行く。
辺りは、ヒノキがまばらに幹を伸ばしている。
中の地蔵さんから、平坦な道を少し行くと左手に道標が立てられている。
さらに4、50mも行くと右手に立て札が立てられ「元越山山頂まで 800m」と書かれている。
100m歩くのが早い。
白い立て札は、山頂に近づくたびに100m間隔で立てられ、見るのがうれしくなる。

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狭いシダ道はゆるやかに登りだす。
しかし、すぐ傾斜は収まり平坦な道を行く。
道には、所々木の根が這い出し、つまづくのは気分に合わない。
左手には、 たくさんの幹を持った木 が一際目立つ。
辺りは、なぜか小径木が多く、大径の自然木は見当たらない。
さらに平坦な道を直進して行く。
道はゆるやかに登り始め、たくさんの幹を持った木から1分も行くと、右手に「元越山山頂まで 700m」の立て札を見る。
左手は自然林が、右手はヒノキが広がりその間をゆるやかに登っていく。
道筋には、さらにシダが多くなる。
しかし、人が通る幅だけはチャンと残している。
道は左手へカーブ、さらに右手へカーブし登っていく。
すぐ急坂になる。
急坂にはロープがかけられ、木の根を階段代わりに登っていく。
急坂の途中、右手に山頂まで600mの立て札を見て一息つくと、数メートルで登りきり、左手へカーブし登っていく。

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道はここから下りだす。
20メートルも下ると、正面ヒノキの越しに元越山の山頂が見え隠れしてくる。
下りには、小さな小石が多く滑りやすい。
さらに、シダをかき分け1、2分も下れば鞍部に着き、ゆるやかに登っていく。
ゆるやかな傾斜を数メートル登ると、 左手に道標 が立てられ「頂上まで500m」と案内されている。
さらに数メートル登ると、右手に「山頂まで500m」の立て札も立てられている。
道はすぐ傾斜を増してくる。
500メートルは、近くに感じるが遠くにも感じる。
しかし、残る500メートルで今日のドラマは終わってしまう。
山頂へ、焦る気持ちを抑えながら一歩一歩を登っていく。
一歩一歩を楽しんで登ればなおいい。
シダ道を右手へカーブしさらに登っていく。
登りきると、山頂手前のピークに達する。
このピークには、小さな石柱が立てられ側面に「大分県」と刻まれている。
ここから、右手へカーブし少し下ると傾斜はなくなる。
さらにゆるやかに登ると、右手に、山頂まで400mの立て札を見る。

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ゆるやかに登って行くと、左手に大きな木が幹を立てている。
道は徐々に傾斜を増してくる。
さらに、大きな松の木を見て左手南の方へカーブして登っていく。
傾斜はさらに増してくる。
最後の登りに息が荒れてくる。
道は、左手自然林、右手はヒノキ林が広がり、気をそらすように左右に目を配りながら一歩一歩登っていくと、待っていたように右手に300mの立て札を見る。
傾斜はなかなか厳しく、足にこたえる。
足元には、 ヒノキが階段状に根を張りだしている
登りの300メートル、意識するとこの距離は長い。
辛抱して登って行くと、傾斜はゆるんでくる。
右手前方には、樹間に元越山が見え隠れする。
木の根の多い、ほぼ平坦な道を行くとわずかながら下りだし、ゆるやかに登っていく。
この登りは、ほとんど足には感じない。
もう100メートルは歩いた、そう思ったとたん右手に200mの立て札を見る。

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ここからすぐ狭い道を下っていくと傾斜はなくなる。
山頂を目前にして、急坂の疲れが一掃されるような平坦な道を行く。
平坦な道は自然と足早になり、100メートルは短い。
ゆるやかに登りだすと、 右手に100mの立て札 が、すぐ先には木柱が立てかけられている。
100メートルを切れば、登りも長くは感じない。
道標を見て傾斜は増してくる。
そして左手へカーブすると、幾分傾斜はゆるみ、辺りの植生は変わってくる。
道沿いには、もうシダは見当たらない。
少し行くと天井は開け山頂が見えてくる。

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山頂は草地で、四方見渡すことができる。
山頂中央部には、数本の山頂標が立てられ「581・5M」と書かれている。
その奥に、古い祠がそれに一際目立つ石碑が建てられ、四方に見える景色が四面に刻み込まれている。
その天板には、国木田独歩「欺かざるの記」の一部がきざまれ、四方に広がる展望に涙を流して感激したとある。

元越山
山巓(さんてん)に達したる時は、四囲の光景余りに美に、余りに大に、余りに全きがため、感激して涙下らんとしぬ。
ただ、名状し難き鼓動の心底に激せるを見るなり。
太平洋は東にひらき、北に四国地手にとるかごとく近く現れ、西および南はただ見る山の背に山起こり、山の頂に山立ち、波のごとく潮(うしお)のごとく、その壮観無類なり。
最後の煙山(えんさん)ついに天外の雲に入るがごときに至りては・・・
国木田独歩  欺むかざるの記
明治26年11月6日の記録より


左手には、八角形のコンクリート製の天測点がある。
天測点は、恒星を観測して座標を決める測点として使用されていたが、今は当時の遺物となっている。
大分県には2箇所、ちなみに九州では7箇所あるという。
国木田独歩が感激した展望は、眼下右手に浦代湾、左手に佐伯市街地や悠然と流れる番匠川を見下ろすことができる。
さらに目を上げると、遠く四国の遠景が楽しめるという。
元越山は、南北朝時代一方の主役後醍醐天皇は、勢力挽回のため皇子、懐良(かねなが)親王を征西将軍として九州へ派遣され、そのとき春の暴風雨に遭い米水津湾に漂着、肥後の菊池氏を頼って元越山を越えたとも伝えられている。
山頂には、わずかながらミヤマキリシマも目に付く。
ここでゆっくりと、時の流れを楽しむといい。

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