山伏が歩いた裏コースを行く・英彦山 南コース [ 1199.6m ]
中宮 〜 中岳上宮(50分) [ この区間の地図 ]
10mも登ると立派な英彦山神社中宮着く。
鳥居額束には、「中津宮」と書かれ、藤原恒夫が建立したと言う。
そして右手へ下って行くと、山頂への道に出会う。
右手に中津宮の説明板を見て、左手へほとんど足には感じない小さな傾斜を登って行く。
中津宮
中津宮祭神は、豊前国宇佐島 遷都したと伝えられ、宗像の三女神である市杵比売命・多紀理昆売命・多岐津比売命を祀っています。中宮は英彦山の5合目にあたります。一息いれて自然を味わってください。
環境庁 福岡県
すぐ左手に大木の切り株を見ると、「落石注意」と書かれた案内板を見る。
しかし、見回しても落石を注意するような気配は感じない。
さらにスギの大木をくぐって行く。
そして中宮から100mも過ぎたころ、
右手に展望
を見る。
さらにゆるやかに登って行く。
左手には、腰を降ろしたい切り株に目を取られながら、平らな道を10mも行くと左手へカーブし木段を数段下って行く。
すぐスギの倒木をくぐって行く。
スギの倒木には赤いテープが巻かれている。
そして右手へ向きを変えると傾斜はゆるみ平らになる。
道沿いには、輪切りされたスギの倒木が多い。
正面には、何かの記念塔のように立ち枯れた幹を見る。
この幹は年を追うたび形を変え低くなっているように見える。
さらに平らな道を行く。
少し行くと左手に木柱が立てられ、奉幣殿より1200mと案内している。
ここに来て山頂まで半分の道のりを過ぎたことを実感する。
しかし、まだまだ山頂は遠い。
そして露岩の多い道を10mほど下り、さらに平らな道を行く。
さらに、左手に祠を見て、また記念塔のような白骨化した幹を見る。
昔日、左手に見えた展望は、懸念したとおりスギの若木が育ち視界を小さく狭め、楽しむほどの展望は得られない。
枯れた立ち木から10mも行くと、ゆるやかに登りだす。
小石の多い道を少し行くと
左手に分岐
し、左手の道標が立てられ「紅葉谷経由 奉幣殿 高住神社」と案内されている。
さらに10mも行くと、道は左手へカーブする。
正面には道標が立てられ、後方を「奉幣殿:1・3km」、行く手を「英彦山山頂:0・9km」と案内している。
踏み跡は右手にも伸びるが、数メートルで行き止まりになる。
さらに「英彦山 野鳥の森 案内板」の案内板を見ると、すぐ左手に休憩所がある。
ここで一息ついて、さらに石段を登って行く。
少し登ると、右手に岩をくり抜きそこに刻まれた
石仏
を見る
さらに石段を登って行く。
石段は、所々木段が加えられている。
そして木段を登り、右手へカーブすると傾斜を増してくる。
少し登ると、右手に「稚子落」と題した説明板が立てられている。
説明板の奥にはフェンスが張られ、そこから覗き込んでも樹木が多く身震いするような様は感じられない。
説明板は、文字は消えかかりはっきり読めないが、ほぼ次のようなことが書かれている。
稚 子 落
中津宮祭神は、豊前国宇佐島 遷都したと伝えられ、宗像の三女神である市杵比売命・多紀理昆売命・多岐津比売命を祀っています。中宮は英彦山の5合目にあたります。一息いれて自然を味わってください。
環境庁 福岡県
一息つき、さらに石段を登って行く。
傾斜は大きい。
そして、右手へ向きを変え木段を登って行くと、右手に
人一人立てる空地
がある。
そこに立つと、南西の方に展望が開ける。
展望を見て、左手へまた木段を登って行く。
そして、目印のような岩に触れると、左手は防護柵か、チェーンが張られている。
その間の木段を登り右手へカーブし木段を、さらに岩と根っ子の段差を登っていく。
少し登ると右手に奉幣殿より
1600m
の木柱を見る。
そして左手へ数段登り、ほぼ平らな道を行く。
倒木をくぐり、左手に目を向けると展望が開ける。
さらに10段ほど登り平らな道を行くと、また石段になる。
ここも傾斜は大きい。
そして左右にS字を書くように登って行く。
傾斜はなかなか大きく、一歩一歩の足が重い。
辛抱して石段を右手へ10mも登って行くと、左手に案内板が立てられ「この美しい自然はみんなのもの 植物は大切に ゴミは捨てないよう」と訴えている。
数メートル先には、豊臣秀吉に神領を没収され財政が苦しくなり、関銭所を設け参拝者から金をもらったと言われる、関銭所の説明板が立てられている。
関銭の跡(下乗)
英彦山参拝の信者は、ここで感謝の気持ちをあらわすため通行料を納めたところです。これは現在の入山料と思われます。また、勅使大名、高位の人達もここから乗馬(馬・かご等)より降りて徒歩で参拝したといわれています。
環境庁 福岡県
一息ついて直進し、右手に大きな切り株を見る。
すぐ左手へカーブし、石段を登って行く。
さらに倒木をくぐって行くと、木段から石段になる。
石段は相変わらず多い。
少し登ると正面に、
木製の鳥居
が見えてくる。
正面右手には水場がある小屋も見えてくる。
さらに右手に目を向けると立派な拝殿が眼に飛び込んでくる。
その右手前には、産霊(ムスビ)神社の説明板が立てられ一読すればいい。
産霊(ムスビ)神社(行者堂)
文武天皇の時代、往古高皇産霊尊鎮座の旧地であるという神託があり、聖武天皇、天平十二年頼願によって建立されたと伝えられています。石畳は、護摩壇の跡であり、修験道の時代は役行者木像が安置されていました。安産守護の神として信仰があります。
環境庁 福岡県
もう山頂は遠くはない。一息ついて体を休め、神々しい水をもらい、少しバックし鳥居をくぐって行く。
すぐ石段になり、目を上げると気負いするほど遠くまで伸びている。
少し登ると左手に、石柱に掘り込んだ
石仏
に目がいく。
石仏は薬壷を手にされ、薬師如来とも見て取れる。しかし、なぜここに薬師如来か分からない。
シャッターを切るついでに後ろへ振り返ると、白骨化した一本の立ち木に目を取られる。
石段は長い。焦れば山頂は遠くなる。ではなく、一歩一歩を歩を重ねれば必ず山頂は近づいてくる。
右手に、何か刻まれた石柱を見ると、すぐ先に大きな切り株を見る。
さらに右手に切り株を見る。
そして三つ目の切り株を見て石段を登って行くと、石段は枠だけになる。
さらに右手縁を登って行くと、
左手に木柱
を見る。
木柱には、奉幣殿より2000mとある。
脳裏には、山頂まで200mと浮かんでくる。
少し登ると、石段はなぜか左右二手に分かれる。
これを左手に取り、10m余り登ると
左手に道標
が立てられ、後方を「中宮を経て奉幣殿まで2・0km」行く手を「英彦山山頂:0・2km」と案内されている。
石段を50m以上も登ったのに、距離は縮っていない。
8月半ば、焼かれるような強い日差しを受け登ったのに、何か損をしたような気もする。
それにしても、今年の夏は特に暑い。
一息ついて石段を右手へカーブし登って行く。
目を上げると、石段は整然と積まれ見るに気持ちいいが、足がそうではない。
途中足を休め、辛抱してさらに石段を登って行く。