県境の尾根を行く・脊振山 [ 1054.8m ]
鬼ヶ鼻岩 → 猟師岩(約20分) [ この区間の地図 ]
分岐を直進し、左手にコケむした岩を見て急坂を登っていく。
右手にカーブして行くと、正面右手に
大きな岩壁
が目につき、その岩壁に近づくように数メートル登り、すぐ左手へ向きを変え登っていく。
すぐ
「九州自然歩道」と書かれた標柱
を見て左手へ急坂を登っていく。
さらに右手へ鋭角にカーブし登っていく。
数メートル登ると、右手へ大きな岩の手前から急坂を登って岩壁の左手肩に登りつき、ここから猟師岩へほぼ平らな稜線のやせ尾根を行く。
尾根筋の道を蛇行しながらほぼ平坦な道をいくと、コケむした岩の段差を降りる。
さらに傾斜の大きい道を少し登り、
落ち葉の多い道
をゆるやかに下っていく。
下りは少し傾斜を増してくる。
この辺りは落ち葉で踏み跡が薄くなっているが、尾根筋の一本道をはずす心配はない。
途中、道は二手に分かれるが、踏み跡がしっかりした左手を行くとすぐ一つになる。
また、平坦な道を少し行くとゆるやかに登りだす。
すぐ傾斜を増し、左へさらに右手へカーブしササ道を登って行く。
足には相当疲れが溜まっているが無理せず、途中足を休めてもいい。
さらに左右に小さく蛇行を繰り返し登っていく。 道はかなり傾斜を増してくる。
登りきると、道はゆるやかに下りだす。
すぐ登りに変わり、2本の大きな木の間を抜けていくと、ほぼ平らな道になる。
尾根筋の快適な道を1〜2分も行くと、道は下りだす。
正面樹間には、巨大な岩峰の右端が見え隠れする。
周辺には、
露岩
が多くなる。
そしてゆるやかに登って行くと、その岩峰の前に立ち、そこから左手へ岩場を登っていく。
岩道は、登山者の靴で表面が滑りやすくなっており、濡れた状態の時は用心する。
さらに岩場を右手へカーブし登っていく。
正面の大きな岩に近づくと岩道は、右手へさらに岩場を登っていく。
そこには
太目のロープ
が付けられている。
ロープを手に登りきると、岩道は右手へ伸びている。
その前に左手南の方に、2〜3歩いくと
素晴らしい展望
得られる。
元に戻り、さらにコケむした岩道を登っていく。
すぐ岩場になり、ここにも
トラロープ
が張られ、一歩一歩足元を確かめながら、用心し登っていく。
そこを登りきると、数メートル右手東側へ直進するように行くと、絶好の展望場所がある。
ここからは、登山道も一筋の線としてうかがわれる。
昼食は、この絶景を楽しみながらとってもよい。
この展望岩を戻り、右手の方へ進むと大きな岩がどっしりと座っている。
ここが猟師岩山頂で、ここで昼食を取り体を休めてもいい。
ここは一味違った雰囲気が漂っている。
山名は、その昔猟師たちがイノシシやシカを捕るため、この岩場にひそんだことからその名が付いたという。
栄西禅師像
脊振山は、肥前の境界に跨る霊山である。古来より山岳仏教の聖地として、また茶の発生地として知られている。 禅宗を伝えた栄西禅師は、千光法師ともいわれ、永治元年四月備国吉備津呂にて生まれる。 八才で仏学を修め、十四才のとき叡山に入り、天台の教儀を学んだ。 仁安三年四月、宋国に渡り天台山に至った後、九月に帰国する。 四年後の文治三年四月、最入来し、建久三年夏帰朝して、茶種を伝えたといわれている。 古書に「建仁の昔、開山千光国師宋に往って禅法を伝え建久三年帰国の時とき、はじめて茶種を持ち来り、肥前国脊振山に植ゆ」とある。 栄西が茶種を播いたところは、東脊振村坂本の山中、霊仙寺境内である。 多門坊墓地にある禅師像は、その徳を追慕する記念像であり、墓標ではないことを付記しておく。